センテンス・オータム

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【山井大介と日本ハム】エースのやきう日誌 《6月3日版》

ファイターズが試合に敗けたからではなく、“このタイミング”が訪れれば、僕は前々から言おうと思っていた.......

 

山井め(恨)

 

 

3日の中日ドラゴンズ戦。先発の山井大介に6回をゼロ封され、完敗。しかも、山井から岩瀬仁紀に繋ぐ、栗山名プロデューサーのお株を奪う演出を見せて「あの日」を記憶を我々にまざまざと呼び起こさせる。

 

‥まぁそんなコトを森繁にされなくとも、僕は「あの日」の屈辱を忘れた日はない。

全国中継でファイターズナインがかかされた赤っ恥。解説の江本孟紀にはボロクソに言われた。中4日の登板で気迫の投球を魅せたエース・ダルビッシュ有があまりに可哀想。対する中日は川上憲伸を温存。順番でいうと「5番手」であり、当時も“谷間”とも言える存在であった山井を、

 

なぜ打てない

 

絶対におかしいだろう‥‥。いくら「あの日」のスライダーがエグかったといっても、所詮ヤマイだ。当然、勝利を見込んでいたのに、1本の安打も出ないなんて、まったくふざけてやがる。

なにせファイターズは直前に行われた千葉ロッテとのCSで、勝率9割を誇る防御率1点台投手、成瀬善久を攻略しているというのに、なぜ、一体どうしてヤマイを‥‥。悪い夢を見ているようだった。

 

 

■山井大介 ネーム (行銀/赤) 刺繍 ワッペン ■中日ドラゴンズ■応援■ユニフォーム■

 

 

2007年の「ナゴトの歓喜」も、ファイターズ側からみれば【ナゴドの惨劇】だ。山井登板の時点で、かの有名な完全試合・未遂がセットで語られてしまうのは、おそらく皆さまも想定の範囲内であろう。えのきどいちろう辺りが、いかにも書きそうだ。しかし、筆者の憤激にはまだ“続き”があった。

 

伝説の?快投劇により、仮に山井がその後、エース格にまで上り詰めてくれたなら、ファイターズファンも、まだ報われる。「覚醒」した山井を打てなかったのだから、仕方ないのだと。

それなのに彼は、翌2008年から2シーズンも、ペナントレースで1勝もすることができなかった。ここで僕たちは、より一層嘆いてしまう。やはり、なぜ“あのヤマイ”を打てなかったのかと‥‥。まるで一生分の運を、2007年の日本シリーズ第5戦に費やしていたかのよう。赤っ恥をかかされたファイターズナイン及びファンにとっては、誠に大迷惑であった。

 

ただ、それからさらに月日を経た山井大介は、最多勝のタイトルを獲得したり、今度は正真正銘ノーヒット・ノーランを達成したりと、まだ死んでいたわけではなかった。‥これを思うと、日本シリーズでヘタに完全試合なんかしないで良かったのかもしれない。あのとき運を“使い切らなかった”おかげで、息の長い投手になることができた‥とも考えることができる。落合博満監督は、野球を度外視したスピリチュアルな観点で、もっと先を見ていた、可能性もある。

 

当時、たいへんに物議を醸した継投で、結果的にはイマイチ盛り上がりにかけた日本シリーズも後年、話題性には事欠かずに済んだ。それと岩瀬に繋いだことで、ファイターズの「極貧打線」がそこまでクローズアップされずにも済み、こちらとしても落合監督には救われた思い。

 

 

あれから11年、残っているメンバーは同い年の鶴岡慎也田中賢介のみ。‥石井一成をセカンドで使うくらいなら、2007年もバリバリの主力だった、田中賢を起用してもらいたかった。山井と対戦させてほしかった。大好きな「ドラマ性」も、2007年はまだ監督ではなかったから、栗山も意識はなかったのか。

 

今年のFD決戦、「演出力」においては森繁に軍配。

 

 

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