日本代表が三度、ベスト16で散った.......
4年に一度のW杯をみるたび、サッカーの愉しさや奥深さを再認識させられ、以後も国内のリーグ戦や海外サッカーに目を向けようと、そのときは思うのだけれど、それらをリアルタイムで観戦することなどは滅多にない。
‥やはり、本質的に好きではないのだろう(笑)。けっきょく、私はミーハーに過ぎないのだ。真のサッカー好きが、いちばん毛嫌いするタイプの人間かもしれない。
たしかに日曜朝の【サンデーモーニング】、スポーツコメンテーターの張さんが、故郷が広島だからと“無理やり”サンフレッチェを応援しているようなコメントがよく見てとれる。あれなんか見てると、無性に腹が立つ。そんな好きでも関心もないくせに‥‥。尤も彼らは仕事だから仕方ないのだけれども。
W杯といえば、先日読んだ下の記事が愉快であった。
「サッカー雑誌」を取り上げた特集。ネットが今のように普及していなかった日韓の頃は爆発的な売り上げを誇ったそうな‥。言われてみると、ミーハー筆者もあの当時は目にしていた気がする。
ガラケーのちっさな画面。iモードで得点経過くらいなら知れた記憶はあるが、各国の詳しい戦力や選手の情報などは、確かに雑誌には適わなかった。それが今やウィキペディア等で調べれば、誰でも人並み程度の知識は手に入れられてしまう。16年という歳月の間に、ネット社会はここまで進化した。
今回は「雑誌」つながりで、こういったエントリーを綴ってみる。
むろん、私の“専売特許”は野球である。【週刊ベースボール】の購読歴は、幼少時の立ち読み期間も含めれば、それこそ20年以上になるけれど、筆者にとって同誌が与えてくれたものはあまりにも大きかった。
有難かったのは、やはり、全12球団を比較的万遍なく取り扱ってくれている点。とりわけ私のような日本ハムファイターズというマイナーな球団(笑)を応援している者には、同誌くらいしか情報を得る手段がなかった。現在も続いているが、1球団に特化したページがかならずあって、そこだけは毎週欠かさずに目を通していた。
季節ごとの企画‥今なら高校野球の特集が組み込まれ、秋にはドラフト。あとは助っ人だったり背番号、変化球に特化した企画があったりと、おかげで私もずいぶん「野球通」になることができた。同誌が果たしてくれた役割は大きい。
ただ唯一、週刊誌という特性上、処分に困ってしまう。ジャンプほど厚くはないけれど、あれも積み重なれば結構な場所を占領することになるのだ。
簡単に捨てられればいいのだが、私もこのような書き物をしている都合で『いつか役立つ日がくるのではないか』と躊躇ってしまい、なかなか捨てられない。けっきょくは日の目を見ずに、部屋の片隅で埃をかぶっているケースも少なくないのだが(苦笑)
まぁそれでもいつかは捨てなければならない。本は増えても、部屋は広くなっていかないのだから。‥となれば、先の特集の内容が面白かったものは優先的に残し、あとは表紙のグラフィックなんかも、わりと重要な要素となってくる。
おかげで2000年代以降は日本ハムも強豪チームへと変貌し、それに伴って“写真映え”するスター選手も台頭してきた。ダルビッシュ有などは、その筆頭だろう。彼が表紙を飾った号は、永久保存版。‥なんだが、いかんせん、そういった号が近年は増えすぎて(笑)
なかでも優勝記念号は格別である。とりわけ気に入っているのが、こちらで2007年のときのもの。
千葉マリン(現ゾゾマリン)で胴上げされる、ヒルマン氏。土の茶色と人工芝の緑色とのコントラストが美しい‥。
同年は下馬評も低く、そんな中で達成した連覇。開幕当初は最下位に甘んじ、交流戦を境にして当時の球団記録、14連勝を飾って一気に首位に躍り出るとクライマックスSでは難敵・成瀬善久を撃破‥。なのに、最後の最後の日本シリーズでパーフェクトゲームを喰らうというトラウマ必至な結末があって‥‥。
まさにジェットコースターのようなシーズンだった。当該号の表紙を眺めながら、そんな景色の数々が、脳裏を駆け巡る。大切な思い出なら「記憶」として留めておくだけではなく、こうしてカタチとして残しておくのも、また一考。決して“捨てる”ことのない出来ない、筆者にとってこれも大切な思い出のひとつである。