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【激マニアック・トレード列伝&(秘)金沢次男「プロ野球」ここまで言って委員会32】酔っ払い親父のやきう日誌 《2021年2月05日版》

最近ネットニュースでプロ野球関連の記事をよく見かけると思ったら、いつの間にか春季キャンプが始まっていた。気づけばもうそんな時期だ。

 

各球団、そこまで選手の顔ぶれに変わりはなく、最後の最後で田中将大「日本球界復帰」というビッグなニュースが舞い込んできたけれども、以外は、正直あまり目新しさは感じない。新庄剛志がどこかしらの球団に入っていたら、今ごろ大盛り上がりだったろうに.....

 

昨オフはトレードが少なかった。主に外国人とドラフトでの補強、現有戦力で今季を臨む球団が多い。筆者はこのトレードというシステム、とりわけ「交換トレード」が好物。移籍先の球団でハッスルする選手がいると、気分が高揚する(笑)

 

ひいきの北海道日本ハムは「トレード巧者」などと、ごくごく一部の野球ファン、識者たちから云われている。今さら語るまでもない大田泰示(巨人→)杉浦稔大東京ヤクルト→)といった近代の選手はともかく、老人特有な昔話を少しするならば、ヤクルトで古田敦也の控えに甘んじていた野口寿浩が一躍ハムで正捕手となり、広島でくすぶっていた金石昭人はハムに来て完全に生き返った‥‥。トレードにまつわる、そうしたドラマがすばらしい。

 

 

◇トレード・トリビア

 

それでは、いちばんハムと交わりがなかった球団はどこか?

 

答えは、近鉄だ。過去に一例しかない(1976年)。参考までに「選手交換」を伴うトレードであり、たとえば戦力外となって近鉄に拾われた、中島輝士のようなケースはここに含まない。なお近鉄消滅後に誕生した東北楽天との間でも、今日に至るまで行われていない。

 

しかし、近鉄楽天とも対戦が多い、ハムと同一リーグのチームであったことから、これは頷けるとして、筆者が不思議なのは広島および中日球団との疎遠っぷりだ。前述、金石に代表されるように、日本ハム球団が生まれた1970年代中期以降、もっとも交流があったのは実、カープだった。有名どころを列挙してみると......

 

1975年:大下剛史⇔上垣内誠・渋谷通

1977年:新美敏・内田順三他⇔佐伯和司・宮本幸信・久保俊巳

1981年:高橋直樹佐伯和司江夏豊・高橋里志

 

80年代になって少し落ち着いたが、かつてレギュラー遊撃手だった高代延博が広島へ渡ったり、逆に元新人王投手の長冨浩志が来たりもしている。

が! その長冨の件からいっさいカープとは交流(交換)がない。ちなみ、カープ以上にブランクがあるのが中日ドラゴンズで、92年に交わされた「山中潔⇔五十嵐明」まで遡る。実に30年近くも選手間の行き来がないのだ。

 

ドラゴンズとも一時期は頻繁にトレードが行われ、本塁打王大島康徳、「未完の大器」のままだった藤王康晴も、ほぼ同時期にハムへ移籍してきている。

ただ、球団間どうのこうのより、当時の監督が人事権を持っていたりする場合も。‥考えてみたら、大島の時の両チームの監督が高田繁星野仙一で、明大の先輩後輩な間柄だったし、のちの近藤貞雄も、ドラゴンズで監督を務めていた経験がある。案外、監督同士の「ノリ」で決まったトレードなんてのも、あの時代には多かったかもしれない。

※なお上記はすべて記憶と独自調べであり、もし見逃しや誤りがあったら、気にせずスルーしてください笑

 

 

皇后さまもファンだった、Gシゲル

クールガイ高田繁

(C)amazon

 

 

◇持ってない男?

 

先ほども名前が出た、高橋里志氏が先月31日、病気のため72歳で亡くなった。

 

広島、ハム時代で同僚だった江夏豊との不仲ぶりは有名。それらのエピソードはWikipediaなどに譲るとして(笑)、以外の面白話を。

里志氏がいた頃のハムは、やたらに「高橋姓」が多かった。左腕エース・高橋一三に、高橋正巳という選手も同時期に在籍している。その前年までいたのが高橋直樹であり、すべて投手。‥まぁ日本では元々多い苗字とはいえ、重なるときは重なるものだ。一昔前なら「田中」も多かったし、近年だと「石川」あたりがブーム?か。

 

正巳は社会人野球からドラフト2位入団。このときの1位が『あの人は今』的な書籍でよく名前を見かける木田勇。‥このドラフト1、2位コンビが揃って大洋ホエールズ(現DeNAにトレード移籍した。

その際、大洋から代わりにやってきたのが金沢次男という右投手。俳優・益岡徹似の顔で、髭がトレードマーク。ハム時代の背番号は「20」。

 

不思議な巡り合わせで「記念本塁打」をたびたび放った広永益隆ダイエー他)のような幸運男もいれば、金沢は、わりと不運な選手だ。堀内恒夫の「引退試合」で特大ホームランを打たれたのが金沢なら、ヤクルト移籍後の初登板巨人戦で、今度もピッチャーの木田優夫に痛恨サヨナラ被弾。

‥と、ここまではわりと知られた話。不運はまだあって、新人時代の中日最終戦で先発。首位打者のかかった田尾安志は徹底的に勝負を避けられた。けっきょく全5四球のうち2四球を、金沢は半ば故意に与えて同僚・長崎啓二の栄冠をアシスト。しかし、自身は敗戦投手になってしまうのだから、決して気持ちの良い「役回り」ではなかった。

千葉ロッテ在籍時は「12球団勝利」を目指し、古巣ハム戦で久々に先発登板。この試合では制球を乱し、4回途中3失点で降板。敗戦投手なり、けっきょくこれが現役最終登板となった――

 

 

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