先日のGAORAスポーツ、ファイターズの北海道移転元年「2004年」を振り返る企画がよかった。
特に印象的だった4試合を、実際の中継を観るように近藤祐司アナと田中幸雄・岩本勉両解説者が語り合うというもの。
プレーオフ敗退ながら、同年はアメリカ帰りの新庄剛志入団イヤーにもあたり、沸いた一年だった。彼が打席に立つたび、筆者もワクワクして見守っていたのを思い出す。放送で触れることのなかった思い出話をイチ・ファン目線で今回、誰にも忖度なしで?少々語ってみたい。
《2004年4月2日 北海道日本ハムvs西武》
札幌ドームで行われた、記念すべき初のホーム開幕戦。あらためて当時のデータを確認したら、観衆の数35000人。‥とすると実数でカウントされていれば(翌シーズンから実施)、実際の人数は、これより1万人弱程度減るかもしれない。ファイターズに対する、当時の北海道民の「熱量」を窺い知れる。
相手は、西武と日本のエース・松坂大輔。迎え撃つ、金村曉。‥‥金村。いたなぁ。4年連続二ケタ勝利は、評価できる。けれども2年後の「采配批判」で晩節を汚してしまった。球団史の類で、カネムラの名があまり登場してこないのも、おそらくそのため。高い能力を持っていただけに、私としても残念だ(放送でも『なまら最高!』の絶叫シーンはカット』)。
完投するも、この試合で敗戦投手となった松坂。余談として彼は、翌年誕生した新球団・楽天イーグルスのホーム開幕戦でも敗れている。さすがは平成の怪物。周囲の「空気」を読む能力にも長けた投手である。
in東京ドーム。筆者もこの試合は「生観戦」していた。90年代後期を代表する投手、ジョニー黒木と岩本勉の投げ合いもあってか、ドーム内は大盛況。おかげで入場するのにも苦労した記憶。
ジョニーとの投げ合いを制し、復活勝利をあげた岩本。放送では代名詞である『まいど!』の壇上雄叫び付き。‥本人を含め、誰も言及していなかったけれど、しかし、まさか同年この1勝のみで終わるとは。
通算成績も負け越し。でも前述の金村より、彼からは球団への「愛」がいつも感じられた。だから、こうして現在もファイターズに関わる仕事にありつけているのではないか。
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プロ野球史上初のストライキ明け、SHINJOらが扮する「ゴレンジャー」から始まった試合は語り草だ。たしか私は当時、モバイル版の球団公式サイトで追っていて『SHINJOの満塁サヨナラホームラン!16‐12でファイターズの勝利!』の速報に歓喜していたら、いつの間にか【13‐12】にスコアが訂正されていた。‥‥いったい「現場」で何が起きているのかと、しばらく気が気でなかった(苦笑)
当時の模様を、結果的にSHINJOが放ったホームランを無効とさせてしまう田中御大自らに「解説」させるとは、なかなかにGAORAも鬼(笑)
それにしても、この頃のドームの盛り上がり方は、ちょっと尋常でない。今では考えられない?選手ひとりひとりに大声援が送られている。‥憶えているのは、ホークスの捕手・城島健司が熱狂的で知られる『福岡ドーム(当時)の歓声よりも凄かった』 そんな類の発言をしていたこと。このとき、あらためてファイターズが北海道に行ったのは間違いではなかったと確信する。
前日の興奮冷めやらぬ札幌ドーム。首位ホークス相手に連勝して、プレーオフ進出をグッと手繰り寄せた。決勝点は、またしてもSHINJOのバットから。やはり、お客の「ツボ」を解っている。そして画面には、カルロス・ミラバルの雄姿も‥‥。
懐かしき助っ人投手。同時期、突如エース格にのし上がってきたという印象で、後の西武とのプレーオフでも勝利投手。2004年終盤「投」の主役は、確かにこの男だった。
《参考》