センテンス・オータム

ディープ・マニアック・鋭く「DMS」 様々なアレについて... (シーズン中は野球ネタ多し)

【大当たりの予感しかしない?獅子軍団からの使者「ライオンズ」トレード列伝「プロ野球」ここまで言って委員会93】メランコリー親父のやきう日誌 《2021年8月13日版》

正式種目となって初の金メダルで日本中の野球ファンを沸かせた稲葉ジャパン.......

 

 

なのに、まったくもって中田翔の暴行事件は野球界に暗い影を落としてくれた。

そうした騒ぎを少しでも収めたかったのかは定かでないが、直後に埼玉西武ライオンズと交わされた2対2の交換トレード。‥‥ここだけの話、どうせやるならもっと大物同士のトレードの方が効果はありそうにも感じたけれど、まぁ西武さんに暴行事件は関係なし。あくまで「現実主義」の人選だった。

 

トレードの件については前日にも触れた。チーム内でも公文、平沼両選手は比較的好きな選手であったゆえ、いささかネガティブなテイとなってしまったが、一夜明けて考え直し、前向きに捉えられるようになった。

山賊打線」の全盛時、下位打線に座っていた木村文紀は、唯一ホッとできるスポット。‥しかし、それは単なるこちらの「思い過ごし」に過ぎず、けっこう痛い目に遭わされた記憶がある。木村(+金子侑司)を抑えられなければ、一体どこで封じろというのか‥。それくらい、当時の山賊打線は脅威であり、パイ、であったはずの木村に打たれた際のダメージの大きさは、計り知れなかった(笑)

そんな彼もきょうから味方。肩がまだ本調子でない西川の守備固めには打ってつけの存在だ。ライオンズ以上に苦境に立たされたチームを救ってほしい。

佐藤龍世は、あまりの馴染みのない選手だ。たしか去年だか、本業以外のところでその名前を知るに至ったが(苦笑)、北海道出身らしい。それなら、彼なりの再スタートを切るのに持ってこいな球団。ハムとて伸び盛りの若手が内野にも複数名いてライバルは多いが、ぜひレギュラー獲りに向けて頑張っていただきたい。

 

 

同一リーグ球団同士のトレード、しかもシーズン途中とあって「電撃」と相成った。

ところがこの埼玉西武あらためライオンズとファイターズ球団の間では、過去に複数回、トレードが行われている。そのいずれもがまた別の意味で「電撃」なのである。‥どれくらい「電撃」だったか、少しここで歴史を振り返ってみよう。

 

 

まずハムの前身、東急フライヤーズに所属していた大下弘。「バット」で人気を博した、終戦直後の大スター。こちらも西武の前身、西鉄ライオンズ深見安博外野手と、1952年に交換トレードが成立した。

 

 

赤バット」で鳴らしたのが、巨人の川上哲治

大下弘 虹の生涯 (新潮文庫)

(C)amazon

 

 

東映、日拓フライヤーズから日本ハムファイターズと移り変わる激動期にライオンズへトレードに出されたのが、白仁天(はく・じんてん)東田正義と、1対1の交換。ちなみにこの白、東映時代に前の走者を追い越してサヨナラホームランを取り消された過去を持つ。

同様に、満塁ホームランを放つも走者追い越しで単打扱い。いつかの新庄剛志とまったく同じことをやらかしたのが、行沢久隆。おかげで記念すべき「プロ初本塁打」も水の泡に‥。この行沢を1979年、新生・西武ライオンズ吉岡悟と交換。

 

球界に様々な伝説をつくった江夏豊、当時日ハムと西武の柴田保光+木村広の交換トレードが1983年。‥これはハム側にとって会心のトレードだった。

柴田は先発ローテーションに加わって、二桁勝利を三度。ノーヒット・ノーランの記録も打ち立てる。一方の江夏は広岡達朗監督と反りが合わずに、西武を一年で退団した。

 

最後に、昭和末期に現れた「トレンディエース」こと西崎幸広が1997年、西武に渡った。この西崎獲得は、東尾修監督の強い要望があったと訊く。

代わりにハムへ来たのは沢村賞投手の石井丈裕で、まさにビッグネーム同士の交換だ。しかし、実質的にイチバン活躍したのは石井の「オマケ」のような扱いでやってきた守備職人、奈良原浩 (1998-2006)だったというのがまた面白い。

 

 

にほんブログ村 ニュースブログ トレンドニュースへ