プロ野球ファンなら、週刊文春で鷺田康が筆をとる「野球の言葉学」に注目されている方も多いことだろう。他の雑誌と比べ、比較的タイムリーな“ネタ”を扱ってくれているので、私にとってもありがたい。
先日は『二百球を過ぎて疲れたところから、もっと投げたい』という、福岡ソフトバンク・松坂大輔の「言葉学」を披露していた。‥併せて、かつて落合博満が説いたとされるものもあり、著書を何作か読んだこともある筆者も初めて訊いたのだが、それがこちらである。
◇徹底的に肉体を酷使し、疲労が極限に達したときに、最も合理的な体の使い方ができるようになる
落合の時代、昭和の名選手たちのやり方がこうであったらしい。つまり、投手ならひたすら球を投げこめ、走りこめ。野手ならバットを振れ‥‥。知識もへったくれもない、一にも二にも練習あるのみということだ。
そういえば、自らの身体を“イジめる”なんて言葉も、最近はあまり聴かれなくなった。無理無駄を省きたがる、いかにも現代人的であるが、これに相対する「昭和タイプ」の選手に、松坂大輔も当てはまるというのが鷺田氏の見解である。
サプリメントや最新の器具を用いて、肉体を増強するダルビッシュ。もちろん、彼だって“必要に応じて”ランニングや投げ込みはしているはずだ。“必要以上”に自らを追い込んで技術を高めるという松坂のようなタイプと、一概にどちらが良いとかは云えないけれども、個人的な好みとすれば松坂の方である。
それは筆者が昭和生まれだからというのではない。考えが、極めてドラゴンボールの「サイヤ人」的であるからだ。
瀕死の重傷を負って、回復したら、強さが格段に増すーー
落合の理論に置き換えれば、徹底的に肉体を酷使し、疲労が極限に達したときに、見えてくるもの‥‥あるいは超えられる領域があるのではないか。
ある時期を境に、そのサイヤ人の特性に気付いた孫悟空は、まさに自らを重傷に負いやって、戦闘力を高めた。それを繰り返して、彼はようやく「スーパーサイヤ人」となったのだ。
ドラゴンボールを観てきたリアル世代とすれば、あんなストーリーをつい夢見てしまう。栄光から転落の一途をたどる、松坂大輔。心は傷つき、体もボロボロとなって‥でも、そこから這い上がってきた松坂は、もしかしたらスーパーサイヤ人になっているかもしれない。
‥平成の怪物と称された男に対しても、そんなストーリーをつい夢見てしまう。