畑正憲氏のエッセイが連載されるようになり、近頃は『サンデー毎日』にも目を通すようになった。
ペットというよりも、「野生動物」が好きな私は、世界を股にかけて様々な動物たち触れ合ってきた“ムツゴロウさん”のとっておきな秘話が聴けると思い、期待していたのだが、ここまではわりと「日常的」なものが多い印象だ。
‥とはいっても、旅に同行したカメラマンの看病が大変だったとか、狭い日本に住む我々にとっては十分「非・日常」であるのだが。
先週号には、面食らった。冒頭はイチローに絡んだ話。これは、わかる。時期的にもタイムリーだ。しかし、ここから意外な展開が待っていた。北海道日本ハムの中田翔と読売・大田泰示の名が挙がったのである。
中田については「監督が育てた」と書かれており、私も激しく同意(一個人的な意見としてはマダマダだが)。大田にいたっては、まさかの“ダメ出し”が始まり・・。ムツゴロウさん、日本野球界にもかなり精通しておられるようだ。
一方で、少し気になった文言がある。それは知人が語ったものとされる、こんな言葉。
でもさ、あのイチローを見捨てていた監督がいるんだものね
大体察しがつく。実名はなかったが、おそらく、あの日本の“D元監督”だろう。‥これに付随して筆者は思うところがあった。「イチローが最初からメジャーに行っていたら、ピート・ローズのMLB安打数を超えていた」という仮説である。
‥自分の意見とすれば、こたえはNO。当時としてはありえない話ではあるが、仮に‥もし仮に、日本球界を経由せずにメジャーに行っていたら、そもそもイチローはあれほどの選手になっていなかったのではないかーー
オリックス時代の9年間があったから、ひいては2年間の“下積み生活”があったからこそ‥‥今のICHIROが形成されたのだと、私は感じている。この下積み期間を「監督のいうことに従わずに干されていた」などといった認識が、一部であるようだけれども、実際問題、プロ入り後2年間のイチローは、一軍では成績を残せていなかったのだ。
のちの「ブレイク」のために、二軍でじっくり牙を研いでいたという見方もできるし、あるいは思うように一軍に定着できなかったこの期間をバネにして、彼は一流選手へと上りつめていったという考え方もできる。したがって、当時の監督に感謝はしても、憎んだり恨んだりの負な感情は、まったく持っていないと思う。
この「根源」ともいうべき誤った認識を世に流布させているのは、現在はタレントとして活躍している元同僚・P氏だ。前々から、監督批判を繰り広げ、あたかもイチローとD元監督との間で確執があったことを、公然という。‥たとえ、確執が本当にあったとしても、D元監督の人間性までも、周囲が疑ってしまうような発言は、さすがにヒトとして許しがたい。
筆者からいわせてみれば、自分が(実力不足で)起用されなかったことに対する、意地汚いPなりの復讐なのではないかと、勘ぐってしまう。Pのせいですっかり「悪」な印象が根付いてしまった感のあるD元監督が、誠に気の毒だ。ちなみに、私はD監督自身が、イチローやPに対するネガティブな発言を退任後は一切、耳にしたことがない。
くだんの知人の発言に返す形で、こうあった。
それは仕方がないかもしれませんね。あの打法、普通じゃないもの
野球好きのムツゴロウさんまで欺いた、Pの罪は大きい。そして、何よりやり方が汚い。